茅葺き民家伝承の意義と対策
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茅場の経営・茅葺職人の
養成・茅葺企業の設立

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岩手で茅葺き技術の伝承を
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代表  吉岡  裕  副代表  戸田忠祐


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茅場の経営・茅葺職人の養成・
茅葺企業の設立


岩手茅葺き促進委員会の活動目的は、 岩手県内において、
@ 茅の企業的生産基地を立ち上げるための茅場経営企業化モデルを開発すること、
A 職業として働く茅葺き職人を育成すること、 
B 県内の茅と職人を使って茅葺き事業を行う茅葺専門企業を立ち上げること、
非常に具体的なものであった。2000年ころから活動を開始したので、 これまで7〜8年かけて、どうにかその基礎をつくることは出来たように思う。 これは他所の地域でも参考になると思われるので、やや詳細にその経緯を記録しておくことにする。

<総 括>

茅場の開発・管理企業モデルの開発とその起業化

 岩手県央の金ヶ崎町にあった県有原野の上で、 機械を使った茅場の開発管理と山茅の収穫・収納に関する技術的経済的企業モデルの開発実験を繰り返し、 どうにかその成果をみることができたので、そのモデルを使用して、2005年(平成17年)春から、 金ヶ崎町産業開発公社(金ヶ崎町第3セクター)が茅の生産供給事業をはじめた。これが可能になったのは、 岩手県が県有地の茅場利用の意義を認め、町内千貫石地区の県有地〔約300ヘクタール〕と遊休県有施設(数棟の建物) を茅の生産に使用するとの条件で金ヶ崎町に無償使用を認めたからである。 このように安定した土地の使用条件のもとで茅の生産業務をはじめた金ヶ崎町産業開発公社は、 これまで20fを越える面積の茅場で毎年約20、000束(2尺〆)の山茅(ススキ)の生産を行っており、 「南部茅」の名で県内外に使用されるようになっている。 今後は、茅の品質改良や茅刈作業の機械化などが課題となる。

茅葺き職人の養成・研修
茅が手じかにないと、職人は生れない。これに気づいた私どもは、茅の生産に目途が ついた2004年(平成16年度)から、私どもは茅葺職人の養成研修プログラムを立上げた。 このような人材育成の意義を認めた岩手県庁(農林水産部)は、2004年度(平成16年度) を初年度にした3ヵ年継続の茅文化保存システム支援事業(金ヶ崎町に対する半額補助)をスタートさせ、 「茅葺職人養成研修事業」の業務は全面的に私どもの委員会に委託した。  
これを受けて、私どもは、3ヵ年間にわたる茅葺職人養成研修プログラムを実施したが、 これには、現場研修、視察研修、集合研修という3類型の研修プログラムを含めた。 このプログラムのもとで、公募に応じた人のなかから、5人〔岩手県3人、宮城県2人〕 の若手茅葺職人が所期の研修を終え、「南部茅葺士」のタイトルを与えられて、県内外の茅葺現場で働くようになった。

茅葺専門企業の立上げ

茅葺の仕事場が広域化した今日、 茅と職人を調達して茅葺工事を請負う専門企業 がどうしても必要になる。利益も余り期待できないこの分野に踏み出す事業家には、 この仕事を単なる儲け仕事とせず、茅葺民家伝承の意義を認める志のある経営者である。 幸運にも、私ども岩手茅葺き促進委員会の活動に触発された若い企業経営者が盛岡周辺に現れ、 平成17年(2005年)8月、茅葺専門企業として「挙部萱」が設立された。この企業の一日も早い自立が待たれる。

 < 委員会活動を支えるシステム>

広汎な協働事業の成果
以上のような私どもの委員会活動が生んだ一応の成果の背景には、茅葺関係企業、茅葺棟梁 、茅葺職人研修生、岩手県、岩手県肉牛生産公社、岩手県立農業大学校、金ヶ崎町、金ヶ崎町シルバー人材センター 、金ヶ崎町産業開発公社など、金ヶ崎町の地域を中心にした様々な人と組織がうまく協働したからである。 今後もこのような行政と民間企業、団体、関心をもつ個人などの協働関係がいかに上手に組み立てられ、 それが円滑に動くかどうか、これが成否の鍵を握っていると思われる。

情報交流活動の重要性
委員会は、活動分野の一つとしてホームページ(日英両語)上に「茅葺相談窓口」を開き、事務局へのアクセスも明示しているが、 ここに、茅の調達や茅葺工事、出版物などについての照会が全国から(たまには海外からも)寄せられており、 これを契機にした多様な情報交換、情報交流が生れている。 また、委員会会員の個人的な交流を通じても、多くの情報がもたらされている。こうした広汎な情報交流は、 私どもの委員会活動を広く支えている。こうした情報交流には、今日では、インターネットが不可欠な道具であり、 会員間の情報共有にもイメイルは欠く事ができないツールとなっている。   
情報を受けるためには、発信の材料が必要である。 委員会は、茅場開発管理に関する技術報告書の作成・発表、茅葺技術保存及び啓蒙のために制作した茅葺ビデオ( 現在ではDVD)「岩手のかやぶき」(日英語版)や「茅葺き通信」(年1回発行) の配布などを行っているが、最近では、これまで蓄積した関係情報を編集記録した茅葺叢書の発行も始めている。

<委員会活動の詳細>

〇茅場候補地の探索
昭和30年代はじめまでの岩手の農山村には、むらの共有地(里山)に茅場があり、 それが村民に割当られて、各戸が自分の茅場で茅を収穫し、茅場を管理した。それに、 むらには「結い」と呼ばれた村民の相互扶助組織があり、毎年順番が回ってきて屋根の葺替をする家には、 集落の各戸が刈り溜めた茅を無償で提供し、手伝いもして、祭典現の経費で茅葺屋根を維持してきた。 しかし、こうした村の地域組織は日本の高度経済成長とともに崩壊し、茅葺民家の数も少なくなって、 村の茅場の多くは畜産用の人工草地になったり、放置されて森林に戻ったりした。
そこで多くの茅葺屋根の葺替に必要な大量の茅を手に入れようとすれば、どこかに新たな茅場をつくり、 その茅場から茅が刈取られて市場に供給されるような現代風のシステムをつくりあげるほかはない。 そのシステムはどんなものか。それは、茅場の開発と茅の生産が企業経営として行われるようにすることであろうと私どもは考えた。 そのためには、どこか具体的な土地の上で、茅場開発と茅生産の企業化モデルをまずつくることが先決である。 そのためには、岩手県内に適当な茅場候補地を探し出さなければならない。こうした茅場探査は、つぎのような手順でおこなった。
副代表の戸田忠祐さんは、獣医さんで長く岩手県の畜産試験場で研究者として過ごした農学博士だったから、 県内の公共牧野に詳しい。戸田さんは、県内の 航空写真や人工衛星(ランドサット)のデータ解析をはじめ 、国立岩手大学農学部(盛岡市)の協力を得て、リモートセンシング技術を利用、 岩手県下の岩手県肉牛生産公社管理牧野(3000ヘクタール以上)を対象に茅場適地調査を行った。 当時肉牛生産公社は、規模縮小期に入っていたので、管理下の人工牧野のなかには、 開発以前の植生が再生しはじめた場所が多くあった。そのなかから有望な茅場候補地5箇所を選び実地調査を行った結果、 技術的経済的行政的諸条件を総合的に判断して、数箇所の茅場候補地を選び出し、 数箇所を特定したが、やがて一箇所に集約した。これが県央に位置する金ヶ崎町千貫石地区である。

○ 茅場の開発実験
岩手県肉牛生産公社金ヶ崎牧場(千貫石地区)のなかに発見した茅場候補地については、 「雑草刈り取りによる牧野環境整備作業」と名目で公社の同意を得て、2000年晩秋、 県の畜産研究所から牧野整備用機械(シュレッダー及びラジコントラクター)を一時借用し、 地元農機具会社や農協の協力を得て、約1.3ヘクタールの原野の茅の古株や雑草木のクリーニング作業 (伐採、破砕、破砕片の地上散布)を行った。これは、伝統的な原野への火入れが消防上きわめて困難なので、 これに代わる作業として行った。
このあらたに開発したモデル茅場には、期待通り、翌2001年春から優良な茅が生育し、 2001年11月から12月にかけて、地元作業グループ依頼し、能率を高めるため、伝統的な岩手方式 (刈り取り、結束、島立て、越冬、翌春搬出)ではなく、豪雪地帯の新潟で行われているという収穫方式、 すなわち、手鎌で刈取った茅を束に結束せず、そのまま地上に散布し、翌春融雪後取上げて結束するという作業方法を試みた。 しかし、これは見事に失敗し、翌春収穫した茅は、湿度が高く、色も黒く変色して、使い物にならなかった。 そこで、翌年から再び伝統的岩手方式に戻ることになった。   
茅の生育状況に問題がなかったので、平場の茅場開発の場合はシュレッダー、 傾斜地の場合はラジコントラクターを使用したクリーニングは、火入れに代わる極めて有効な省力的作業体系であることが立証された。 いずれの機械も、 茅の生育障害に繋がる潅木類と新生茅に混在して茅の品質を低下させる前年の枯死茎などを除去することを目的として 使用するものである。
シュレッダーは、大型トラクターの牽引による作業を行うものであり、高能率である反面、急傾斜地には不向きであり、 10度以下の緩傾斜地の大面積の土地の管理向きである。一方作業幅の小さいラジコントラクターは、能率は落ちるが、 足回りがキャタピラであるため、傾斜地や条件不利な小面積にも向く。これまでの実演会を通じて、この両機   種を茅場の条件に応じて使い分ける作業体系の目処は得られた。

○ 茅場開発実験を行うための協働態勢
このために、委員会会員は、可能なかぎりの資金的労力的貢献を行ったが、日本財団からは 「里山保全ボランテイア活動助成金」の交付を受けることができた。また、 岩手県、出先地方振興局、県の農業試験研究機関、岩手県立農業大学校、金ヶ崎町役場、 金ヶ崎町シルバー人材センター、地元農協など、関係機関・組織からからさまざまな支援協力が得られ、 関係者すべての協働態勢がうまく動いたのがこの事業の成功の秘訣であったと思われる。 委員会側では、戸田忠祐(畜産牧野研究者)、日野杉栄(茅葺き棟梁)、 蒲田一夫(農業基盤整備事業経験者)、石川幸一郎(農場整備技能者)、杉若蓉子(主婦)などの会員の貢献が大きかった。


茅場開発実験の技術成果を取り纏めた報告書は、下記の場所からアクセスできる。

岩手茅場開発報告書(岩手茅葺き促進委員会副代表 戸田忠祐著)(20014月刊行) (論文形式) 15ページ
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茅の収穫、茅場からの茅の搬出、倉庫への搬入保管作業の事業化実験
2000-2001年に行った機械を使用した茅場の開発管理実験によって正常な茅が生育されることが証明されたので、 3年目の2002年に入ると、茅場での茅の刈り取り、島立て、翌春の茅場から倉庫への茅の搬入、 倉庫内での茅の保管などの作業が企業経営として成立するような事業化のモデルを創りあげることが活動目標となった。   
根雪地帯の金ヶ崎町千貫石茅場では、伝統的岩手方式に従って、出来るだけ茅の成長点のい段階 (おおむね11月上旬)で刈取りを開始し、年末の本格的降雪期まで(概ね12月中旬末)に刈取り・島立て作業を終らなくてはならない。 (これとは違い、根雪地帯ではない例えば宮城県北上川下流地域では、年明けの2月あたりから刈取を始め、 すぐ倉庫に搬入、保管することができる。) この限られた期間内に、一定の茅場面積から一定量の茅束を収穫するためには、 どの程度の技能を持ったどの程度の数の作業員が必要か、また調達可能か、また、企業採算に合うようにするためには、 その作業料金はどの程度でなければならないか、それで作業員が調達出来るかどうか、こうした実験事業を行う必要があった。 この実験事業については、岩手県(水沢地方振興局)及び金ヶ崎町から地域活性化事業助成金(茅場開発管理企業化実験事業) の交付を受けることが出来た。
約10ヘクタールのモデル茅場で、2002年晩秋(11-12月)、刈取り、結束、 島立てを含む茅の収穫作業が金ヶ崎町シルバー人材センター登録作業員 (10人、常時4-5人)の請負作業で行なった。しかしこの年の異常気象で、11月初旬の初雪が大雪となり、 茅場の茅はほとんどが倒伏した。間もなく融雪し、多くは立ち直ったが、そのまま倒伏したものも多かった。 また強い突風が吹き、立てた茅島が倒れる場所も出た。こうしたこと予期せぬことが起きるたびに緊急な対応を迫られ、 現場で委員会の技術者を中心に協議し、応急の対応策を講じた。こうして、この年、 12月下旬の作業打ち止め時期までに約1万束(2尺〆)の島立てを完了することができた。 こうした経緯のなかで、低コスト高品質の茅(半スグリ茅及び葉つき茅)の企業的生産を行うために必要な茅の育成、 収穫、調整、搬送、貯蔵方式を発見するため、その過程を5類型に分類し、それぞれに関する技術的手法の比較企業化実験を行なったが、 その結果は、2003年3月、研究会での検討を経て、報告書(戸田及び蒲田会員担当) にまとめて配布した。 また、茅場管理、茅収穫等に有効な中古機械類が民間から委員会に寄付されたので、関係機械類の整備によって、 茅場開発管理能力は格段に高まった。  
さらに、茅倉庫内の茅の保管方法についても多様な実験を繰り返し、茅の品質を高めるような適切な保管方法を開発した。 茅の収穫、運搬、保管、調整加工の技法を高め、能率を上げるためには、作業員の技能向上が必要であり、 こうした有能な作業集団を育成を進めるため、金ヶ崎町シルバー人材センター登録作業員に対し、 数度のわたる現場での技術講習会を開催した。その結果、今日では、おおむね10人〜20人の茅収穫作業員集団が養成された。
このようにして、2002年までにモデル茅場の開発管理実験はかなりの程度にまで進展し、 2003年から2004年の2年間で、茅場の運営の企業化モデルにはほぼ目処をつけることができた。 この企業化モデルには、1束当たりの出来高払作業料金(刈取、結束、茅場での島立てまでを含む) の水準、茅1束の作業目標規格、島ごとの建材用金属支柱の使用、茅場から倉庫までの茅の運搬料金水準、 茅の保管方法、倉庫のレイアウト、倉庫渡出荷価格水準の取決め、などの経済条件を含んでいる。


茅場経営の事業化のための外部条件の整備
以上のようなモデルが出来、茅場の企業経営は可能との実験結果が出たが、ではどのような規模の土地で、 どのような条件で実際の茅場が経営できるか、そうした外部条件が確定しなければ、実際に茅場経営を行う企業を 立ち上げることはできない。そこで、私ども委員会は、地主である岩手県(県庁)と、地元の金ヶ崎町(町役場) への働きかけを行った。その結果、以下のような外部条件が確定した。
岩手県は、金ケ崎町千貫石地区の県有地約300f(これまで岩手県肉牛生産公社が牧野として使用してきたが、 事業閉鎖により県に返還された)を地元金ケ崎町が茅場として使用することを条件に無償使用することを認めた。 これとともに、この土地及び周辺地域にあった県の遊休建物を茅倉庫として使用することを条件に金ヶ崎町に無償贈与した。  これで茅場経営企業化のための外部条件が整備できた。


金ヶ崎町産業開発公社による茅場経営の開始
 こうした条件整備を受けて、金ケ崎町は、茅の生産事業に乗り出すこととなり、 この仕事を町の第3セクターの財団法人金ケ崎町産業開発公社(理事長は町長、事務局は農林課) に担当させるとの方針を決定し、公社は、2005年4月から茅の生産事業を開始した。 公社が販売する金ヶ崎茅場産の茅は「南部茅」という商品名を採用している。  
 しかし、茅の生産販売という事業活動の業務をすべて自前で行う能力はないので、 多くの業務は外部への委託で処理されている。茅場の開発管理、茅の生産、保管、出荷などの実務は、 岩手茅葺き促進委員会会員や金ケ崎町シルバー人材センター登録作業員などが担当しているし、 茅の販売は、協力茅葺企業の泣Xズキ産業(鈴木嘉悦郎社長、宮城県)や挙部萱(村上史佳代表、岩手県)などに依存している。 公社による約20ヘクタールの茅場経営によって、この地域の農村の農閑期である11月から12月にかけての農家の絶好の兼業機会を提供しており、 地元からは歓迎されている。茅の企業生産は、平年ベースで地元に数百万円の労働市場を開発したことになるし、 茅の販売収入も数百万円に上るので、合計約1000万円の経済効果を生んだことになる。


茅場経営の課題と対応
  金ケ崎町産業開発公社は、現在20fに及ぶ茅場で茅の生産を行い、すでに全国有数の産地になっているが、 今後の茅需要に対応しながら、茅場面積を数十fの規模にまで拡大することが可能である。そうした大面積の茅場経営に備えるとともに、 茅の収穫労働力の不足や老齢化などに対応するため茅刈作業の生産性の向上が必要である。 こうした事態に対処するため、現在、茅株の分割植え付けによる茅畑の造成実験、茅場の地力低下防止のための施肥実験、 茅の種の自然発芽促進実験、葉の少ない茅品種の選抜実験、茅の収穫能率向上機能をもつ道具の開発や機械化の実験 (欧州から葦刈機の試験輸入と実用化実験)、刈取った茅束の品質向上対策の開発などを実施中であり、 その成果が徐々に現われ始めている。こうした技術開発の成果は、将来の公社の事業拡大に役立つだろう。
 


茅葺職人養成研修事業の実施
  茅の企業的生産と茅葺職人養成の公的意義を認めた岩手県は、2004年度を初 年度とする3年計画の「茅文化保存システム支援事業」を発足させ、これを受けた金ヶ崎町が半額負担をしてこの事業を開始した。 その主体であった「茅葺職人養成研修事業」の業務は、全面的に岩手茅葺き促進委員会に委託された。
初年度の事業開始とともに、口コミ、公募で茅葺研修生(45歳以下)を募集し、選考委員会で選考し、 適格者は金ヶ崎町長の承認を得て、茅葺研修生として登録した。しかし、そのなかには、 職業的茅葺職人になるつもりのない人や健康に問題のある人も含まれていたので、脱落者も出て、二年目以後、 5人の研修生が定着した。うち2人は宮城県出身、3人は岩手県出身であり、年齢は40歳代から20歳代までである。
 委員会の研修プログラムは、現場研修、視察研修、集合研修という三つのタイプの研修で構成されおり、 研修に必要な経費は委員会が負担した。   


現場研修 実際の茅葺工事の現場で、棟梁に指導されながら、個別の茅葺技術を実習する、というタイプの研修である。 研修の現場としては、初年度は盛岡市繋御所湖広域公園南部曲り家、紫波町武田家、金ヶ崎町大沼家、第2年度は滝沢村上田邸、 紫波町武田家、滝沢村鞘屋敷、第3年度は、滝沢村春子谷地の展示小屋、山芝採取、久慈市バッタリ村創作館、 滝沢村鞘屋敷などが選ばれた。指導棟梁は武山棟梁(宮城)、日野杉栄棟梁(岩手)が当った。現場研修の実習項目としては、 茅葺工事の進行を勘案しながら、古茅処理、平葺き、角付け、山芝採取、芝棟づくり、など、茅葺技法全般に及んでいる。 


視察研修 引率者(委員会会員)が研修生全員と車で移動しながら、県内外の優れた茅葺建物を訪ね、 その視察や地元茅葺職人などとの交流を通じて行う研修である。初年度は遠野市内及び宮城県内の茅葺建造物の視察、 第2年度は福島県奥会津(大内宿、只見町、舘岩村)及び宮城県多賀城市東北歴史博物館(茅葺民家集団)を視察、 地元との交流を行った。第3年度は、五箇山の合掌造り民家の茅葺工事への参加による視察実技研修を実施した。


集合研修 研修生全員を研修施設(岩手県立農業大学校研修館及び校内施設)に1週間程度集合宿泊させて、 座学及び実技研修を行った。研修内容は、茅葺文化、茅場の開発、茅葺技法、 その他に関する講義及び模型屋根を使用して棟梁が技術指導を行う茅葺実習となっている。模型を使う実習では、平葺き、差し茅、 芝棟づくり、拝み葺きなどを武山棟梁(宮城)、山口棟梁(岩手藤沢町)、日野杉棟梁(岩手旧玉山村)が指導した。 なお第3年度(2006年)には、隅田隆蔵棟梁(奈良県在住、文化庁伝統技術認定者、伊勢遷宮茅葺棟領)の説話研修を行った。


研修終了行事 毎年度の研修プログラム終了後、研修生から研修プログラムに対する感想、 改善意見などをアンケートの形で徴収し、翌年度のプルグラムの参考にした。第3年度(最終年度)(2006年)の集合研修終了後、 3ヵ年を通して研修に参加した研修生(5人)に対しては、委員会から終了証書を交付するとともに、 委員会が発給する「南部茅葺士」の称号の使用を認める措置をとった。 これら研修生の大部分は、 現役中堅茅葺き職人として県内外で茅葺きの仕事に携わっている。
 


茅葺企業の立上げ
   昔は狭い地域のなかに多くの茅葺建物があり、充分な仕事があったので、棟梁が個人で茅葺の請負仕事をこなしたが、 茅葺の仕事が広域化した今日では、棟梁の個人的能力では対応出来なくなったので、どうしても専門の茅葺企業が今日必要になっている。 しかし、この仕事は未知の分野で、しかも儲けが約束されていないので、茅葺企業が自然発生的に現れる見込みは少ない、 また茅葺事業を単なる儲け仕事事と考えられても困るのである。  
そこで委員会は、かねて茅葺民家保存の意義を認めて茅葺事業に乗り出す若い経営者の出現を待っていたが、幸いにも、 近年、盛岡市の周辺に、委員会活動に触発されて茅葺企業の立上げを決意した30歳台半ばの企業家が現われた。こうして、 2005年8月、挙部萱(村上史佳代表)が設立された(岩手県雫石町)。また木造和風建築や古建築への関心の深い渠建工業 (桜田文明社長)もこの活動の輪に加わった(雫石町)。
こうした茅葺関係企業の今後の発展をはかるためには、協力関係の継続が必要であり、それによって、 育成した茅葺職人の雇用の場も確保される。また、南部茅の消費促進のためにもこうした協力態勢が必要となる。 そこで、茅・茅葺関係企業、すなわち、岩手県肉牛生産公社、泣Xズキ産業、挙部萱、渠建工業のほか委員会が参加し 、茅葺事業振興協議会を2007年に結成し、茅の品質改善、茅葺職人の就業環境の改善など、共通の課題について連絡・協議を強めている。